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 其の廿  「常夏草」冬のミステリー


江戸後期の俳諧連歌「常夏草」について、アウトラインをまとめます。


1  俳諧連歌「常夏草」1部~4部について

2 「常夏草」主客の【 碩水(せきすい)】について

3 「常夏草」編者の【 苑裘(えんきゅう)】について

4 当サイト史料との関連について

    

俳諧連歌「常夏草」第一部~第四部について。


「常夏草」は、旅先(京都)の古書店で、5冊買うと値引きになるので、

「数合わせ」に購入した和綴じの薄い小冊子です。1847(弘化3)年頃の

頓智狂歌(とんちきょうか)を含み、当時の世相を伝える俳諧連歌集です。


弘化3年は天保の後。孝明天皇の御代(みよ)にあたり、江戸幕府の将軍は

徳川家慶(とくがわいえよし:在職1837-1853)です。


碩水 叟(せきすい おきな:叟=老人の尊称)が各地を旅し、金城(きんじょう:

金沢)へ立ち寄った折の句会の作品を、苑裘(えんきゅう)という人物が冊子

に編集しました。

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サイト内リンク:

「常夏草」第一部の全作品一覧   試訳の過程:箱崎物語    

「常夏草」第二部 全作品一覧   ③「常夏草」第三部 全作品一覧

「常夏草」第四部 全作品一覧


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「常夏草」主客の碩水(せきすい)について

結 論

1847年前後に活躍した「碩水」という人物について、国立国会図書館デジタル

コレクションの次の資料に「碩水」が見つかります。


「大阪府立中之島図書館所蔵『萬色一瞤』目録稿」

(書誌情報:著者 小林孔, 岸本悠子 出版者 大阪府)を参照。

① 1535pdf-23ページ(コマ23/43)の項目72:「(雲水)碩水」とあります。

② 826pdf-3ページ(コマ/71): 同上。


雲水(うんすい):意味 行方を定めず、諸国を行脚(あんぎゃ)する修行僧。

碩水(せきすい)は諸国を行脚する修行僧だったようです。


また、補足として、第一部連吟に名前が登場する「卓丈(たくじょう)」は、

国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると、「*金沢墓誌」27ページ

(コマ番号56/69)に項目があります。

「卓丈」は加賀出身。京都で、同郷の俳人「桜井梅室(さくらいばいしつ)」

に学び、のちに加賀に戻りました。桜井梅室の作品集「方円俳諧集」の編者です。

(注:*金沢墓誌:著者 和田文次郎。 出版 加越能史談会。 出版年月日 大正8年)


第一部連吟の、もう一人の参加者「格壷」の情報は見つかりませんでした。


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「常夏草」編者の苑裘(えんきゅう)について
      

「常夏草」編者 苑裘(えんきゅう)について、インターネット上

に名前は見当たりません。


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その他:備考

「常夏草」第一部・第二部 英語試訳:当サイト サポート AI: Copilot

(Microsoftによって提供されているOpenAIのGPT-4を用いた生成AIサービス)


「常夏草」第三部・第四部 英語試訳 :当サイト:未推敲)

Google翻訳サービス・およびインターネット辞典 利用。


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当サイト史料との関連について


「常夏草」の舞台となる加賀藩は、当サイト史料「100年前の世界旅行」と

次のような関連があります。

「100年前の世界旅行」は教育者:真崎誠(まさきまこと)が世界教育視察をした

際に、10歳の子息に宛てた「世界の風景絵葉書」を史料とするファイルです。

真崎誠は、1910-1912年に*石川成秀(いしかわなりひで)子爵(ししゃく)の

助言者(メンター)として世界教育視察を行なっています。


【注 *石川成秀 子爵:1886-1958  旧伊勢亀山藩主の長子。12歳で家督相続。】


ヨーロッパほぼ全土と、北アメリカの主要都市を巡る18か月の豪華な旅について、

スムーズな旅程を立案し、資金や海外での人脈構築を主導した人物が気になるとこ

ろです。


さて、石川成秀 子爵の正室は前田家(*越中富山藩12代藩主)の令嬢です。

令嬢の父(前田利聲/まえだとしかた 1835-1904)が逝去すると、養子の利同

(としあつ:1859年に養子縁組)が家督を相続しました。利同(としあつ)は、

前田家 本家(加賀藩12代藩主)の前田斉泰(まえだなりやす)の実子(じっし)

です。

(ウィキペディア:前田利聲・石川成秀・前田利同 参照)


前田利同(としあつ)は外交官を務め、海外経験が豊かでした。13歳で富山藩知事

(初代で最後)に就任。廃藩置県(1871年)により15歳で免官され、同年に明治

政府からフランス留学を許可されて、1873年まで海外(フランスやロンドン)に留学。

27歳で伯爵(はくしゃく)に叙せられています。宮内省や外務省で活躍をしました。


石川成秀 子爵の世界旅行を考える際、伯爵 前田利同(としあつ)の存在を含め、

旧 加賀藩 前田家の影響は大きかったのではないでしょうか。


備考1:

*越中富山藩は、本家(加賀藩)ほど財政豊かではありませんでした。富山藩12代

藩主の前田利聲(としかた)は父(利保/としやす)と藩政改革をめぐる争いに負け、

1857年に強制隠居。利保(としやす)が1859年に亡くなると、本家(加賀藩)の

命令で利同/としあつ=加賀12代藩主の子)を養子に迎え、同年(安政6)に利同

(としあつ:1856-1932)が富山藩主に就任。利同(としあつ)は三歳で、幼少の

ために実権は実父(加賀藩12代藩主)の手中にあり、加賀本家が富山藩に強い影響力

を持ちました。

(参照:ウィキペディア)


備考2:

俳諧連歌「常夏草 1847年」は、加賀藩12代藩主(前田斉泰/なりやす: 1811生-

1884没。正室 溶姫)の時代の作品です。


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サイト内リンク:


100年前の世界旅行について

教育家 真崎誠について      冬物語プロローグ


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ご訪問をありがとうございました。


追伸:誤認やミス、引用先の不記載などがあると思います。お気づきの場合は

ご容赦の上、お差し支えなければサイト管理者へご教示いただけますと幸いです。

平素のご教示とご協力に感謝申し上げつつ。



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