つらつら椿の謎
秘書のファイリングかばん
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つらつら椿の謎
椿のつぼみが ともしび のように輝く季節となりました。
前回の「冬物語」で万葉集の和歌の話を書きました。
その続きです。今回も54番と56番から始めさせてください。
万葉集 1巻 54番
原文: 巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
こせやまの つらつらつばき つらつらに みつつしのばな こせのはるのを
万葉集 1巻 56番
原文: 河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者
かわかみの つらつらつばき つらつらに みれどもあかず こせのはるのは
作者
この物語では55番を取り上げます。その前に 少し54番 56番の作者について
書かせてください。54番歌の作者(坂門人足/さかと の ひとたり)は系譜・
経歴など不詳。飛鳥時代の歌人。
56番歌の作者は*春日蔵/(倉)首老(かすが の くら の おびと おゆ)。
飛鳥時代から奈良時代にかけての僧、貴族、歌人。僧の弁基(べんき=弁紀)
と称した人物が大宝元年(701年)に還俗(げんぞく)し、氏(うじ)と
姓(かばね)と名(な)を与えられ、*春日蔵/(倉)首老(かすがのくらの
おびと おゆ)として同年9月の御幸(みゆき)に従った際に詠んだ和歌だとか。
僧侶であれば煩悩(ぼんのう)を断ち切るために剃髪(ていはつ)をしていた
のではないでしょうか。還俗(げんぞく)して髪(*かみ)を伸ばしはじめた
のであれば、髪油の需要を意識した可能性もありそうです。
(*かみ詳細:冬物語 )
(補 足 )
春日蔵/倉 首(かすが の くら の おびと) : 春日(かすが)にあった倉庫
関連の(朝廷の)職業部の長官で、皇族を祖先にもつ和珥氏(わに うじ)の
一族とする説や中国系帰化氏族の*蔵氏(くら うじ)の一族とする説も。
蔵氏(くら うじ)は朝鮮半島経由で日本へ渡来し巨大な勢力へ成長した一族
とのことです。
参考:世界大百科事典内の蔵氏の言及 ・コトバンク(kotobank.jp)
ウィキペディア「 坂門人足」「春日倉老」
万葉集 1巻 55番歌
さて、今回は55番歌 について書かせてください。
下は「巨勢山のつらつら椿(54番歌)」と「河上のつらつら椿(56番歌)」
の あいだの55番歌です。この歌は 前後の二首ほど知られていません。
原文: 朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母
あさもよし きひとともしも まつちやま ゆきくとみらむ きひとともしも
万葉集の詞書(ことばがき)によると55番歌は、54番 56番と同じく大宝元年
(701年)9月の旅で詠まれた作品だそうです。
55番歌 の 試訳
国会図書館デジタルコレクションの古典籍資料:清水 浜臣 写 万葉集(1)
を参照して、55番歌を訳します。
訳:真土山(まつちやま)の景色が良いのを 見捨てて通過するのが惜(お)
しい。紀伊国の人々は行来(ゆきき)のたびに この景色を見られて 羨
(うらや)ましいなあ。
「当て字」の試み
前回の「冬物語」では「実=み」の音を探すファンタジーを試みました。
今回も当て字をしてみます。お差し支えなければお付き合いを。
あさもよしきひとともしも まつちやま ゆきくとみらむ きひとともしも
( 原文: 朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母 )
当て字をして、この歌をパターン① と パターン②で試訳します。
試訳 パターン①
紀国(きのくに)の人は「待つ地(まつち)」と同音の真土山(まつちやま)
を行(ゆ)き来(き)で見て、帰りを待つ親しい人(友/師/母)が 火道具
を打って火をともす故郷へ思いをはせるのでしょうね。(試訳:当サイト)
試訳 パターン②
紀国(きのくに)の人は羨(うらや)ましいなあ。紀国(きのくに)の湯(ゆ)
は(病気治療に)効(き)くとうわさに聞くので。 (試訳:当サイト)
試 訳 パターン ① : 根 拠
55番歌では冒頭の「あさもよし=麻裳よし=紀国にかかる枕詞」が 「朝毛吉」
と書かれています。「朝」と、「ひ」「ともし」に注目しました。
「朝」から「夜・夕・暗闇」を連想し、「ひ=火」「ともし=灯し」と当て字。
さらに、「ともしも」に「乏母」が使われているので一般的な訳とちがいます
が、親しい人に思いをはせる歌として試訳しました。古語「*ともしい」は
「うらやましい、心ひかれる、不足している」などの意味。
(*ともしい 参照: goo辞書 / デジタル大辞泉 小学館)
また、「真土山(まつちやま)」が「亦 打 山(まつちやま)」と書かれている
ことから、火打金(ひうちがね)、火打石(ひうちいし=江戸時代頃に普及)を
連想。 紀伊国(=和歌山県)は「麻(あさ)の裳(も= 衣装 )」で有名。発火
した火をうつしとる火口(ほくち)などに麻(の殻)が重宝したのでは。
大宝元年(701年)頃の*火を起こす道具は何か。ロマンを感じるところですが、
当時の具体的な道具について、サイト管理者にはわかりませんでした。
参考:「日本列島最古の火打石 火打金とは」藤木聡/県立西都原考古博物館のPDF
参考:「古代東アジアの灯火器」神野恵/奈良文化財研究所のPDF
試 訳 パターン ② : 根 拠
55番歌では「ゆきくとみらむ」を「油効くとみらむ」と当て字をすれば椿油の
「保湿効果」に、「湯効くとみらむ」と当てれば旅の目的地の牟呂温泉(むろ
おんせん)に。目的地の温泉に打たせ湯(うたせゆ=指圧効果)があれば、
亦打山(まつちやま)の「打」は「打たせ湯」と関連・・・と想像。
55番歌の中の「み=実」
55番歌には前後の54番 56番同様に「み」の音があります。椿の実は大半が
秋に三つに割れるので「み=実=三」と考え、植物の採油にまつわる三首一組
の歌とする 遊び として訳をつけました。
54番は「実(み)」、55番は「火(ひ)ともす・油(ゆ)効(き)く」、
56番は ふたたび「実(み)」に関連付けて空想し、試訳しています。
なお、55番の作品は一言も「椿」に言及していません。あくまで当サイト
の空想です。
55番歌 の 作者
55番歌の作者は調首淡海(つき の おびと おうみ)。飛鳥、奈良時代の貴族。
祖先は中国の周人という*説があります。中国の租税の「調」の仕事に由来す
る氏(うじ)とのこと。百済系渡来氏族(応神天皇のときに帰化)の子孫とも。
詳細は不明。
作者についての補足
昔、日本は中国から税(租庸調)の制度を学び日本風に税制を整備しました。
そのときの主役は若い二人の皇子(みこ)。大化の改新(645年)から始まり
大宝律令(701年)で*租庸調の税制が完成したとのこと。
(参考:*ウィキペディア)
54番 55番 56番の歌が詠まれた701年の旅は大君(おおきみ)になった二人
の皇子(みこ)が没した後。55番歌の作者が「調氏」で、56番歌の作者は
朝廷の倉庫の長官。55番 56番の歌の作者は地方の特産物に詳しかったのでは
ないか、と想像をしました。
55番歌が詠まれた場所
55番歌が詠まれた場所について書かせてください。
真土山(まつちやま)は現在の和歌山県橋本市隅田町真土のあたり。
地図で見ると山の南に紀ノ川があります。紀ノ川は、奈良地方では吉野川
(よしのがわ)という名称で親しまれ上流には吉野(よしの)郡があります。
54番 56番歌の巨勢(こせ)
また、54番、56番歌に登場する巨勢(こせ)は 奈良県御所(ごせ)市の
曽我(そが)川流域とのことです。巨勢(こせ)谷と呼ばれる一帯は巨勢氏
(こせ うじ:古代の豪族)の本拠地として栄えた土地で、川沿いに和歌山
(紀伊国)と奈良を結ぶ街道があったそうです。曽我川は最終的に大和川
(やまとがわ)に合流し、大阪方面へ流れ下っています。
河(かわ)
三首の最後となる56番歌。その冒頭の「河(かわ)」は何でしょう。
54番、55番、56番の順に歌が詠まれたとすると、54番は奈良の巨勢山、
55番は奈良と和歌山の国境の真土山(まつちやま)。真土山(まつちやま)
の南には紀ノ川(=吉野川)。その順番であれば56番歌の「河(かわ)」は
紀ノ川(= 吉野川)に思えますが・・・
奈良県御所(ごせ)市から和歌山へ行く一帯の土地鑑が サイト管理者になく、
トンチンカンな推理をしているかもしれません・・・56番の「河」は何川?
なお、万葉集は複数の編者が関係していて「第1巻」を例にとると「 1番歌
から53番歌 」と「54番歌以降」では編者が別だと*推定されるのだとか。
(*参考:ウィキペディア)。
編集の過程で「54番、55番、56番」の順番が移動した可能性も、もしかし
たらあるのかもしれません。三首の最後に 名前のない「河(かわ)」を持つ
56番があることで「つらつら椿」が謎を秘めて見えてきませんか?
(つづく) 万葉集55番歌の謎へ
ご訪問をありがとうございました。
追伸:誤認やミス、引用先の不記載などがあると思います。お気づきの場合は
ご容赦の上、お差し支えなければサイト管理者へご教示いただけますと幸いです。
平素のご教示とご協力に感謝申し上げつつ。
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