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藤原宮の謎


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椿をめぐる旅の物語の続きです。


万葉集54番から出発し、55番・56番歌まで(漢字横丁に寄り道をしながら)

空想の旅を楽しみました。

次に52番・53番歌は いかがでしょう。さて、どんな謎が飛び出すことやら。

お差し支えなければお付き合いください。


53番歌             

先に53番歌を書きます。

詞 書: 藤原宮御井歌(ふぢはらのみや みいのうた) 作者:未詳

原 文: 藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 乏吉呂賀聞

 ふぢはらの おほみやつかへ あれつくや をとめがともは ともしきろかも

意味:藤原宮にお仕えするように生まれついた娘たち。うらやましいなあ。


53番歌 別の原文

国会図書館デジタルコレクションの古典籍資料:清水浜臣 写 万葉集1 には

上の作品と2文字ちがう歌が書かれています。

原文: 藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 *
*召賀聞

(ふぢはらの おほみやつかへ あれつくや をとめがともは しきりめすかも)

*青字が現代版と異なる部分です。


あまり知られていない52番歌と53番歌。じつは、サイト管理者は初めて52番

と53番を見たとき関連がさっぱり理解できませんでした。それで、なにかと

丁寧な解説をしてくださる江戸時代の清水浜臣 先生の注釈を頼ろうと国会図書館

デジタルコレクションを覗いてみました。


清水浜臣の注釈(現代版 「万葉集」53番歌について)

清水浜臣の写本には現代版の52番に該当する長歌が書かれていません。

しかし、興味深いことに53番に該当する「短歌」に 朱筆で添えられた注釈は

このように始まります。


「長歌に藤井原という言葉があることを思えば、ここに昔から ことなる 清水が

あって土地の名前となったのかもしれない。香山の西北に今も清水があるそうだ」


その下に手書きで「ハニヤス池」の地図があり、「吉野、うねび山、香山」とい

う文字が池を囲んでいます。香山の南には「耳無山」。描かれた地図を見る限り

「ハニヤス池」は香山の東で、西北ではありません。


万葉集(現代版 1~20巻)に「藤井」という単語は数回登場。「藤井乃浦」が

6巻に1首、人名の「藤井」が9巻に2首。「藤井(我)原」は1巻52番歌の1首

だけ。そこから考えると、清水浜臣は52番の長歌の内容を見た上で「別の清水」

があるはず と考察したらしい・・・でも、場所については確信がない様子で

「藤原の都の井戸が名高く(歌に)残ったのだろうと*足(あじ)が言っている」

と他の歌人の意見も紹介しています。(*足=足代弘訓 あじろ ひろのり)


下は「わけがわからない・・・」と思いつつ、清水浜臣の写本からサイト管理者が

抜粋した要約です。少々退屈かも。ご容赦ください。お急ぎの場合は結論へ。


清水浜臣 写本「万葉集」の注釈 要約①~⑩


清水浜臣の*注釈を現代語に改めて まとめます。

(*参照:国立国会図書館デジタルコレクション 古典籍 清水浜臣 写 万葉集

     第1巻 コマ番号 22/77~23/77)


注釈に名前が登場する*足(あじ)、*宣長(のりなが)は江戸時代の国学者。

足=足代弘訓/あじろひろのり=江戸時代の国学者・歌人。本居宣長/もとおり

のりなが= 江戸時代の国学者・医師。


① *足(あじ)が この歌は短歌ではなく反歌(はんか=長歌の補完・まとめ)

  と言っている。

② *足(あじ)が「端書落とし(はしぶみおとし)」ではないか(=序言、

  説明が落ちている)と言っている。「略記」にも同じことが書いてある。

③ (歌の「安礼衝哉 あれつくや」について)略記に「生継者 あれつげ(や)

  =生まれつく」とある。

④ *宣長(のりなが)が次のように言っている。「 【あれつげや】 と読んで

  は最後の【かも】と呼応しないので、(【あれつげや】と読むのであれば)

 【哉】は【武】の書き間違いかもしれないし、または【之】は【乏】の間違い

  で【召】は【呂】の 誤記かもしれない 」
              
⑤ 友(ともがら)は官女を言う。

⑥ 万葉集4巻に「神代より あれつきくれば」と使われている例がある。

⑦ おとめがともは少女の輩(ともがら=仲間)。

⑧ 「しき」は「重」を「しき」と読むのに似て「頗(すこぶる)」と同じ。

⑨ (藤原宮の持統天皇は)女帝なので女童(めのわらわ)を大勢使っていた

   のだろう。

⑩ 「乏(とも)しも」は「めでたい」の意味で用いている。「呂」は助詞。


なお、現代版では53番歌は文字がカッコ付きで「乏・呂」と改められています。

そのため、現代版と清水浜臣の写本は原文が2文字ちがいます。


53番歌の前の長歌(52番)が わからない件について

束の間の ささやかな現実逃避として52番歌と53番歌を見ていると、なんというか、

長歌 (52番)の一般的な和訳に しっくりこない部分が・・・

その部分を52番歌より抜粋します。先に原文、次に和訳を書きます。


「大御門(従) 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日(之)御影乃

水許曽婆
常尓有米 御井之清水」


ポイントを和訳します。

「おほみかど=藤原宮の正門」から「くもゐにぞ=雲の彼方」の「とほくありける

=遠くにある」「あめのみかげ=天の蔭となる場所」「ひのみかげ=太陽の影となる

場所」の「みづこそば=水こそが」「つねにあらめ=永遠に有るだろう」「みゐ の

ましみず=御井の清水」


・・・問題は天の内側か外側か・・・一般的な和訳は「蔭・影」の部分を特に問題

にせずに藤原京の清水・・・という感じに和訳しています。サイト管理者は3話で

「蟲満(むしまろ)」の話を書いたときに聖書(創世記1章6節~8節)に天の外の

「別の水」について書いてあるのを見たので、その水かと・・・

・・・的外(まとはず)れだと知りつつも、思いついたことを書いてみます。


52番歌(長歌)要約

まず、下に万葉集の長歌(52番)を要約します。


日の御子である大君が藤原宮をお造りになって埴安(はにやす)の池のほとり

で山々をご覧になった。都を囲む東西南北の立派な山々。(藤原宮の)正門から

遠く高く隔たった雲のむこう、天の御蔭(みかげ)、日の御影(みかげ)の水こそ

永遠に在り続けるだろう。御井(みい)の清水(ましみず)よ。(要約:当サイト)


53番歌の訓異

53番の試訳に移ります。

一般的な読みの結末は「乏しい(ともしい)=うらやましい」とされていますが・・・

万葉集wikisource 53番歌に*訓異(一般的な訓読みとは別の読み方)が書かれて

いるのを発見。訓異に沿って試訳をしてみます。


まずは、一般的な読みと訓異を並べて比較を。

(*原文:清水浜臣 写本を参照  訓読み:万葉集wikisourceを参照)

現代版の一般的な読みを①とし、訓異を②として並べます。


① ふぢはらの おほみやつかへ あれつくや をとめがともは ともしきろかも

② ふちはらの おほみやつかへ あれせむや をとめかともは しきりめすかも


①原 文: 藤原之 大宮都加倍 安礼
哉 處女之友者 乏吉呂賀聞

(訳:  藤原の大宮仕えに生まれついた娘たち。うらやましいなあ。)


②原 文: 藤原之 大宮都加倍 安礼
哉 處女之友之吉召賀聞

②を試訳します 


53番歌が52番歌の反歌(補完・まとめ)で「水」に関係すると仮定。

その仮定を前提に、清水浜臣の注釈を読むと・・・


漢字「衝」

注釈⑧で清水浜臣が「重」という漢字を取り上げています。原文に漢字を探すと

「衝」という漢字があります。構成要素は「 行 + 重 」。

注釈⑧では「重」が「頗(すこぶ)る=普通以上に大変・予想を超える」と同

じだと指摘されています。


「衝」は中学校で習う常用漢字。衝立(ついたて)などに用いられ「大事な

ところ」「要所」「しきり」の意味があります。一般的な訓読みは「つく」。

それ以外には人名漢字として「みち」「ゆく」とも読むようです。訓異の

「せむ」は見当たらないので・・・「衝=行+重」と分解して「ゆく」を当て

てみます。どこへ、何をしに行くのでしょう。・・・そして、誰が?


当て字の試み

歌の原文に「大宮都加倍 (おおみやつかへ)」とあります。「都加倍(つかへ)」

の漢字から都が大規模と想像。「安礼(あれ)」という字から誰かが礼儀作法に

従って何かをする様子を、「衝→行+重」は誰かが しきりに行く様子を想像。

・・・その前には「ふちはらの おおみや」という言葉があるわけですが・・・

ふち・・・はら? 腹(はら)の縁(ふち)にあるのは・・・排泄器と性器・・・

「お小水(おしょうすい)=尿」・・・または「出産=羊水(ようすい)」などは

水と関係がありますが、生きている限り枯れない清浄な水という条件がつくと、

お小水(おしょうすい=尿)のほうでしょうか。


清水浜臣の注釈⑧にある「重」に注目し、何度も登場する言葉を探すと「之=し・

の・が」が3回。「之=し」に「友=とも・吉=とみ」が続き「しと」と読める

部分が二か所。「しと」の読みについては、*源氏物語 若宮誕生に「御尿=しと」

の例があります。源氏物語は西暦1000年頃(平安時代)の作品。・・・藤原宮

より約300年後・・・万葉歌人が「しと」という言葉を使っていたのか当サイト

ではわかりませんが・・・使ったと仮定して話を進めてみます。

お小水(おしょうすい=尿)は古語で「*しと」(「*しし」とも)。


歌の中に「者之吉(はしき)」という三文字があります。「者之吉」という

三文字の組み合わせは53番歌だけ。同音の「波之吉(はしき)=いとしい

心ひかれる」は万葉集に繰り返して登場。音の上で「者之吉」=「波之吉」。

心ひかれる何か・・・


女性の日常

平安時代の書物には、宮廷にお仕えする良家の女性の日常が書かれています。

普段は部屋で過ごし、お小水の際などは身の周りの世話をする女童(めのわらわ)

や低位の女官を呼んで清筥(しのはこ)や大壺(おおつぼ)などのお道具を用意

させたとか。使用したお道具は所定の場所で洗い清潔に保ったのでしょう。

8世紀前後にはどのようなお道具があったのやら・・・

・・・とりあえず、清水浜臣の注釈へ戻りましょう。


注釈⑦から「をとめがとも」は少女。

注釈⑨から、53番歌は持統天皇(女帝)の時代に詠まれ、大きな藤原の都に

は女官が大勢いた。


conclusion

それらを念頭に、パターン1・2で試訳してみました。


試訳 パターン1 大宮仕え=高位の女官  お世話係=女童(めのわらわ)


訓異 ふちはらの おほみやつかへ あれせむや をとめかともは しきりめすかも

試訳:藤原宮にお仕えする女官が(お小水を)催(もよお)されたのかしら。

お世話をする少女が「しとしと」と可愛い声で(お道具係を)お呼びたてになっ

ている。衝立(しきり)をご用意なさるのね。      (試訳:当サイト)


試訳 パターン2  

「召す」は「食べる・飲む」などの意味も。「しきり」は「つぎつぎに」の意味も

あるので、贅沢に消費する豊かな生活を空想してパターン②を。


試訳: 藤原宮にお仕えする女官はしきりに食べたり飲んだりなさるので頻繁

に(お小水を)催(もよお)されるのでしょうか。女童(めのわらわ)が可愛い

声で(お道具係を)お呼びになっている。仕切りをご用意なさるのね。

                           (試訳:当サイト)


試 訳 の 根 拠

52番歌(長歌)に「埴安(はにやす)池」という言葉があり「埴安姫(はにやす

ひめ)=鎮火の神威を持つ女神」の伝説を連想。お小水に関連させて試訳しました。


藤原宮は日本で初めて中国風に整備された都で、南北に朱雀大路(すざくおおじ)

が走っていたそうです。朱雀(すざく)は鳳凰(ほうおう)のような神獣(しん

じゅう)で火を操る神とのこと。藤原宮は和銅4年辛亥(711年)に*焼失。

(*参考:国立国会図書館デジタルコレクション「扶桑略記(ふそうりゃっき)」
 
 コマ番号 278/438  最後から4行目。)


なお、清水浜臣 写本には歌の最後に「之吉召賀聞(しきりめすかも)」とあり

ます。「之吉(しきり)」は「しき」とも読めます。藤原京ができる前、奈良盆地

の東南部に磯城邑(しきのむら)があり、土蜘蛛(つちぐも)と呼ばれた人々が

生活をしていたそうです。藤原宮で働く下人に一族の血筋が紛れている様子を ふと

空想したりしました。


備 考:藤原宮の架設式お手洗について

備考1  藤原宮には水が流れる溝(みぞ)の上に架設式の水洗トイレ遺構があり、

塀(へい)などの「しきり」があった可能性もあるとのこと。

(参考:ウィキペディア「 トイレ遺構 」)


備考2  飛烏 藤原宮跡 発掘 調査部による「藤原京の水洗式トイレ遺構」

(インターネット上のPDFより抜粋して引用。)

「調査では、道路と宅地内とを分ける塀などの痕跡は認められなかったが、本来

は両者を分ける簡単な遮蔽施設が存在し、それに沿うようにトイレが配置されたも

のと思われる。 (引用 以上)」

(女官のお道具は大宮仕えの誰かが遮蔽施設へ運び、中身を捨てて清めていたの

かもしれません。)


備考3  2022年1月31日21:02 産経新聞  ウエッブサイト「産経ニュース」」

橿原考古学研究所(奈良県)の研究成果を発表するパネル展の紹介記事より引用。

「橿考研は水洗トイレがあった住宅にも、ブタなどを食べる習慣を持った中国

や朝鮮半島などからの外国人がいた可能性があるとみている。(引用 以上)」


(扶桑略記(ふそうりゃっき)に新羅(しんら)使が来朝した記録があります。

(例273/438コマ)。一方で頻繁に遣唐使が派遣され、唐(中国)との交流も盛

んだったようです。)


ポークをお気に召したのは?

ポーク(pork =豚肉)の話は奥が深いのでは。ユダヤ教、イスラム教、ヒンドゥ

ー教、仏教などは信仰上の理由でブタ、または肉食そのものを避ける傾向にあった

と学校で習ったような。・・・いっぽうで、イエス(ヨシュア)は菜食主義者では

なく羊などを食べることを禁じていません(ルカ伝)。また、キリスト教はエルサ

レム会議(西暦49年)で食物規制の大半が取り除かれたのでブタの食用に特に規制

はなかったのでは・・・

宗教について詳しくないため、サイト管理者には良くわかりませんが・・・無宗教

で肉食のお客様でしょうか・・・?ポークがどなたのお口に合ったのか・・・

想像をかきたてるニュースです。


日本国の官制の仕組みの第一歩が、渡来人たちの助力で整えられていく様子と、

当時の地政学を空想しつつサイト管理者は思いました・・・万葉集って最高の謎

では、と。 最後に・・・蛇足ですが創世記1章6~8は、原初の神が天空という

「しきり」を創造して水を分ける話です。

清水浜臣 先生・・・願わくば当サイトの不適切な妄想を すべてお見逃しください。


            エピローグへ


ご訪問をありがとうございました。


追伸:誤認やミス、引用先の不記載などがあると思います。お気づきの場合は

ご容赦の上、お差し支えなければサイト管理者へご教示いただけますと幸いです。

平素のご教示とご協力に感謝申し上げつつ。


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