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宮廷歌人(きゅうていかじん)の謎


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柿本人麻呂と「雖(いえど-も)


「雖(いえど-も)」は 普段の生活では目にしない文字。

AIに「雖(いえど‐も)を使った名前」を尋ねると「ごめんなさい。お答えで

きません。ご理解いただけると幸いです」という文章が絵文字(拝むしぐさ)

付きで表示されます。検索すると「名前に使えない漢字です」と赤い文字で

使用可否判定が。・・・「雖」は2024年現在、常用漢字・人名用漢字に該当

していません。

もう少し納得できる理由が欲しくて検索を続け、下の答えを発見。

前回から持ち越した漢字「雖」(いえど-も)について、「字源-jigen.net」を

引用します。


引 用

【 口は*祝祷(しゅくとう)を収める器の形、隹(ふるとり)は鳥占(とりうら)、

虫は蠱(こ)で呪詛(じゅそ)の意。祈りに呪詛(じゅそ)が加えられている

ので、「唯/*イ」に対して停止条件が加えられ、逆接態となって「いえども」

となる。説文に虫の名とするが、その用義例はない。(字通)】 

(字源 jigen.net より引用  *仮名補足 当サイト) 


・・・もう少し やさしい言葉に置き換えてみましょう。漢字「雖(いえど-も)」

の「口(くち)」は、祝福の祈りを入れる容器の形。部首にあたる「ふるとり」

は鳥占い、「虫」は他人に危害をおよぼす(良くない)行為の象徴。結論

として、逆説的な「いえども=~にもかかわらず」の意味になる。・・・と、

いうことのようです。


由 来(ゆらい)

そもそも「雖(いえど-も)」はどのような由来の文字なのでしょう。パソコン

の翻訳機能(言語 自動検出)にかけると中国語の繁体字(はんたいじ)と表示

されます。日本語の「~のに」、英語の「although」と同意。日本には峠 (とうげ)

など日本で生まれた文字(国字:こくじ)もありますが、漢字の大半は繁体字に

由来するようです。もう少し由来について掘り下げてみましょう。


渡来人の活躍

マーケティングの視点から考えてみました。生活に交易は重要。

人麻呂が生きていた頃の日本は飛鳥時代。国の仕組みが作られた時代です。

文化の最先端は大陸。交易ツールは漢字。漢字の起源は紀元前1000年以上昔

にさかのぼり考案者は東アジアの漢民族だとか。

当時の日本には渡来人が来訪しました。大陸から海を渡ってきた男たちは、

土着の娘との間に子孫を残しました。渡来人たちは当時の日本列島に大陸の

知識と技能を持ち込み、そこに需要を見出した土着の豪族は交易の利権を得る

手段として優秀な渡来人を保護し、血縁を結んだ・・・と学校で習ったよう

な。う~む・・・その結果として漢字の使用が拡大したのでしょうか。

当時の文化人の教養の指針の一つとおぼしきものは漢文読解力。


そう考えると、たしかに万葉集の原文には漢文のなごりがあるような。

具体例の一つが「つらつら椿」を歌った56番歌。「見れども飽かず巨勢の

春野は」の「見れども」は原文では「 雖 見」と漢文調です。


万葉集の中の「雖(いえど-も)」

万葉歌人は漢字「雖(いえど-も)」を重宝な文字として利用したようです。

56番歌の例のように 人麻呂 以外にも「雖」(いえど-も)を使用しています。

ざっと数えたところでは2024年1月のカウント時点で全20巻に*353回登場。

(*重複する詞書なども すべて回数に加算。) 


藤原京と呪符木簡(じゅふもっかん)

なお、*藤原京跡からは7世紀の呪符木簡(じゅふもっかん)が6例発見されて

いるそうです。呪符木簡(じゅふもっかん)とは災いを予防する呪文などを書い

た木の札。7世紀のものは全国で8例出土し、6例が藤原京跡から出土とのこと。

雖(いえど-も)は当時の雰囲気を今に伝える漢字の一つではないでしょうか。

(参考 呪符木簡:*ウィキペディア)


柿本人麻呂が活躍した時代

柿本人麻呂の歌で年代が推測できるのは*西暦680年から西暦700年の作品。

(参考:柿本人麻呂 藤原京関連年表 高岡市万葉歴史館)


680年の作品は *清水浜臣 写本「古典籍 万葉集」11巻コマ番号62/103に

「この一首は庚申(天武天皇白鳳9年)の作」とあり、また700年の作品に

ついては 同2巻コマ番号39/105に「天智天皇の皇女 文武4年死亡」と歌が

詠まれた状況説明があります。  

              
人麻呂の職業に関しては、*清水浜臣 写本「古典籍 万葉集」2巻 コマ番号

40/105 に「持統天皇の子であった草壁皇子(くさかべのみこ)の舎人

(とねり=身辺警護や雑用をする人)で、この皇子が早世したので高市皇子

(たけちのみこ)の内舎人(うちとねり/略称 うどねり=帯刀して天皇の身辺

警護をする役)になった」と注があります。

 (*国立国会図書館デジタルライブラリー 古典籍 清水浜臣 写 万葉集 を参照。

  引用部分は現代語に改めて要約しています。)


備考: ウィキペディアには 人麻呂は660年(斉明天皇6年)頃から724年

   (聖武天皇の頃) の人物で系譜・出自の詳細は不明。春日臣(かすがのおみ)

    の庶流。人麿 / 人丸(ひとまろ)とも。


柿本人麻呂は、日本の仕組みが作られた頃に皇子を警護した帯刀(たいとう)の

歌人のようです。


蟲(むし)を名に持つ歌人

結論として漢字「雖(いえど-も)」に文字としての霊威(れいい)はなさ

そう。逆に「雖」の漢字構成要素で呪詛(じゅそ)の意味とされる「虫」を

名前に用いた貴族もいるようです。

例えば万葉集666番歌の左注に*蟲満(むしまろ)という男性名があります。

ある女性家人が蟲満(むしまろ)へ贈った戯(たわむ)れの恋の歌が666番。

蟲 は虫の旧字体。「蟲満」(むしまろ)は多産を象徴する男性名かも・・・

とサイト管理者は空想を。  (*蟲満(むしまろ:誕生年 不明‐752年 没)


想定外の謎

昔の日本の人々は「雖(いえど-も)」を単に「けれども、~のに」などの

借字(しゃくじ=当て字)として重宝したらしいと、ひとまず結論。

・・・そして、またしても想定外の謎が・・・


・・・これは、何でしょう・・・

万葉集3巻に「雖(いえど-も)」を用いた人麻呂の長歌(239番)があり、

その反歌(240番歌)に「盖(かさ)」という漢字があります。

「盖(かさ)=皿(さら)+羊(ひつじ)」・・・これもサイト管理者が人生

で一度も書いたことがない漢字・・・これは何?


じつは、「盖(かさ)=皿(さら)+羊(ひつじ)」という文字に気付く前に

万葉集666番歌で「蟲満(むしまろ)」の名から「産めよ増えよ地に満ちよ」

という旧約聖書の言葉を連想したサイト管理者。手遊(てすさ)びにインター

ネットで創世記1:28を確認してみました。できる限り聖書の原本に近い

ものが良いと考えてヘブライ語表示のサイトを覗いたものの・・・まったく

読めません。旧約聖書の原本がヘブライ語かどうか・・・という疑問は ひと

まず脇に置いて和訳を探しました。そして、下の和訳を見つけました。

*引用します。(*引用:Bible.comより)

【 神は彼らを祝福して言われた。産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。

海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。】


それを見て漠然と思ったのは、そのフレーズの印象は万葉集239番歌(人麻呂の

長歌)のイメージに近いような・・・

視線を次の反歌(240番 人麻呂 作)へ転じて漢字「盖(かさ)=皿(さら)

+羊(ひつじ)」に気付いたサイト管理者。ちょっとした妄想をはじめてしまい

ました。妄想をしながらも手は機械的に、その漢字が万葉集に何回登場するか

チェック。うかつにも別の漢字と取り違えて入力。万葉集の全20巻を検索し、

集計をメモした ずっと後まで漢字の取り違えに気付きませんでした。


妄想から覚(さ)め、改めて正しいほうの漢字で検索しなおしました。

すると興味深い結果が。

なお、間違えた漢字は「蓋」と「
」です。


(つづく)               皿と羊の謎へ


ご訪問をありがとうございました。


追伸:誤認やミス、引用先の不記載などがあると思います。お気づきの場合は

ご容赦の上、お差し支えなければサイト管理者へご教示いただけますと幸いです。

平素のご教示とご協力に感謝申し上げつつ。


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