香春の伝説を追う試み (前 編)
秘書のファイリングかばん
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豊国(とよくに)の加波流(かはる)
今回の参加者、司会・書記は前回と同じです。座席の設営(せつえい)は*円卓式
(えんたくしき)で、パソコンは持ち込み可。Wi-Fi環境が準備されています。
(*円卓式は席次を決めずに少人数で行う座席の設営です。)
本日は、ホワイトボードの前に司会と書記と課題提案者が座り、
男女各4名(全員で8名)がお互いの顔が見える状態で席についています。
前回から二週間が経過しているという設定です。
練 習 (ブレーンストーミングを整理・展開する)
司会: 前回に引き続き司会をさせていただくFです。よろしくお願いいたし
ます。今回はワードの関連付けと展開の練習を行います。制限時間は3時間です。
50分ごとに10分休憩を入れて3回続けて展開の練習をします。
サービスコーナーに、お茶も用意しています。ご自由に召し上がってください。
ブレーンストーミングに登場したワードすべての関連付けは時間制限があるので
無理だと思います。ご了承ください。では、前回の「万葉集」の補足からお願いし
ます。
万葉集の歌
D: 前回の補足です。シェアした画面(パソコン)をご覧ください。
抜気大首(*ぬきのけたのおびと / ぬきけのおほびと 時代不詳 )という
人物が 筑紫(つくし)に在任中、現在の福岡県田川郡に住んでいた紐児(ひものこ)
への恋歌が「万葉集」9巻に三首あります。紐児(ひものこ)は抜気大首(ぬき
のけたのおびと)という役人が筑紫(つくし)で妻とした女性です。
*(奈良県立万葉文化館の読みを参照)
歌は、万葉集9巻 1767番歌・1768番歌・1769番歌の*相聞歌(そうもんか)
三首です。 (*相聞歌:そうもんか 恋愛を詠んだ歌)
「香春(かわら)」の地名が歌に登場するのは1767番歌で、「加波流(かはる)」
「革流(かはる)」と書かれています。補足は以上です。
司会: ありがとうございます。では、会話を進めてください。
A: あの、質問しても良いですか?
司会: どうぞ。
A: 歌の中の「いつがる」とは何のことですか?
司会: Dさん、お願いします。
D: はい。画面の1767番歌をご覧ください。
【 1767番歌 】
【 読み: 豊国(とよくに)の加波流(かはる)は吾宅(わぎへ)
*紐兒(ひものこ)に いつがりおれば 革流(かはる)は吾家(わぎへ)
意味: *豊国(とよくに)の香春は我が家だ。*紐児(ひものこ)とつなが
っているから。】 (*「兒/こ 」に現代表記「児/こ」を使用しました。)
( *豊国:とよ(の)くに。 古墳時代 - 7世紀。福岡県東部と大分県全域。)
D: 質問の「いつがる」ですが、weblio(古語辞典)の説明では「いつがる=
自然につながる」とありました。
A: ありがとうございます。もう一つ、質問しても良いですか?
司会: Dさんへ直接どうぞ。
A: はい。Dさん、香春(かわら)は歌の中で「かわら」ではなく「かはる」
ですか?
D: そうです。
A: 「香春(かわら)」と「革流(かはる)」と「加波流(かはる)」が
同じ土地・・・うわぁ、ミステリーの予感がします!
香春(かわら)町
C: 香春町の資料館で「香春(かわら)」は古代朝鮮語のカパル(けわしい)、
カナポル(金の村)、カラ(水の流れが分岐する)などが、なまったことば
ではないかという説明を見たわ。
E: 香春(かわら)町では大昔の遺跡が見つかっているね。
D: 香春町の生涯学習課のウエッブサイトには「田川地方に人々が生活し始め
た初現(しょげん)は、後期旧石器時代で約3万4千年前」と*書いてあるよ。
( * 2023年9月現在 )
C: 香春町には弥生時代の遺跡もあるわね。
E: 集落跡や墓地があるね。弥生時代は紀元前400年頃~西暦250年頃らしい。
C: その後に古墳時代が来るのね。問題の。
E: そう。香春岳の麓(ふもと)に一般的な埋葬とは規模が異なる古墳が複数
あるそうだよ。古墳時代は西暦250年頃から600年頃らしい。
香春(かわら)へ行く方法
A: 香春(かわら)へ行く方法は?
C: たとえば、私たちの地元の箱崎から鉄道で行く場合は、時計回りと反時計
回りがあるけれど、最終的に田川伊田駅(たがわいたえき)で日田彦山線(ひた
ひこさんせん)へ乗り換えて、香春駅(かわらえき)で下車。歴史資料館は
駅から徒歩5分の町役場の二階。香春神社(かわらじんじゃ)の本殿は、資料館
から、徒歩30分かからないと思うわ。
香春神社(かわらじんじゃ) ①
C: 香春神社(かわらじんじゃ)に「新羅 (しんら)の神が自ら渡来して住んだ」
という意味の石碑があるの。神社へ続く長い石段が始まるところに。石碑には
ご祭神が渡来した年は書いてなかったわ。
朝鮮半島と古代中国の事情
A: 新羅(しんら)は何年頃の国なの?
C: 新羅が朝鮮半島にあったのは*紀元前57年-西暦935年頃の約千年間で、
その頃の日本は弥生時代から平安時代ね。
(*辰韓(しんかん)の斯蘆国(しらこく)の時代を含めた場合の年代。
国号が「新羅」となるのは西暦503年。)
A: 新羅(しんら)の場所はどのあたり?
C: ざっくり言うと、日本の古墳時代の頃は、日本から朝鮮半島を見た場合に
地図に向かって右が新羅(しんら)で左が*百済(くだら:4世紀前半-西暦660年)。
新羅と百済の上に*高句麗(こうくり:紀元前1世紀-西暦668年)がある感じよ。
でも、細かく言うと、新羅と百済のあいだに加羅(から / 伽耶/かや)地方が
あって、そこには1世紀から6世紀中頃にかけて小さな国々が散在していたらし
いわ。年代は、諸説あるから一応の目安ね。
B: 楽浪郡(らくろうぐん: 紀元前108年 - 西暦313年))と帯方郡(たいほう
ぐん: 西暦204年 - 西暦313年 / 楽浪郡の南半分)については、どんな感じにな
るのかな?
C: 楽浪郡と帯方郡は、古代中国によって朝鮮半島の中西部に置かれた郡で
西暦313年に高句麗に征服されている。正確な場所については諸説あるみたい。
ざっくり言って、馬韓(馬韓/ ばかん 後の百済)の上。
B: 中国の歴史書に、帯方郡(たいほうぐん)から倭人(わじん)が住む地域へ
の行程が書いてあるね。
C: ええ。古代中国は、周辺の異民族国家と従属関係を結ぼうとしていて、
友好的な異民族の王や首長に各国家の統治を任せる策をとったらしいわ。
(*国名は他の読み方もあります。)
女王(卑弥呼)
A: 卑弥呼(ひみこ)は?
C: 魏(ぎ:古代の中国の国の一つ 西暦220年-265年)が西暦238年頃に
帯方郡・楽浪郡を接収(せっしゅう)したのね。その頃に倭の女王(卑弥呼)が
帯方郡(たいほうぐん)を通じて魏と親交を結んでいるわ。
A: 3世紀の初めなのね。
C: ええ。卑弥呼(ひみこ)が最初に使者を送ったのは西暦238年頃みたい。
A: 百済(くだらは)は4世紀前半にできたのでしょう?卑弥呼が朝鮮へ行っ
た後ね。4世紀前半より前は朝鮮半島にどんな国があったの?
C: 日本の歴史では、百済(くだら)は4世紀前半からとされているけれど、
韓国の歴史書(三国史記)では紀元前18年頃に はじまるとしているみたい。
とりあえず、4世紀前半より前は、ざっくりだけれど、朝鮮半島の南部には
三つの国があったそうよ。
馬韓(ば か ん 紀元前2世紀末 - 西暦 4世紀半ば : 後の百済)、
弁韓(べんかん 紀元前2世紀末 - 西暦 4世紀 : 後の任那と加羅)、
辰韓(しんかん 紀元前2世紀 - 西暦365年 : 後の新羅)。
弁韓(べんかん)と辰韓(しんかん)は言語や風俗が似ていて、弁辰(べんしん)
や秦韓(しんかん)とも呼ばれたらしいわ。弁韓・辰韓が似ている一方で、馬韓
(ばかん)は言語がちがったそうよ。
A: なるほど。ええっと・・・卑弥呼(ひみこ)は馬韓・弁韓・辰韓の時代に
朝鮮半島へ使者を送って、帯方郡を通じて魏(ぎ)に親交を申し込んだ、という
理解で合っている?
C: ええ。この話の流れでは。
A: どんな人物だったのかしら。
C: *魏に使者を送った頃は高齢。少なくとも若くはなかったみたい。
西暦247年頃に、敵対する勢力との抗争中に亡くなったらしいわ。
*(魏に使者: 三国志:魏志倭人伝 )
A: 魏(ぎ)は、どこにあったの?
C: *海をはさんで九州の西かしら。
*(海:東シナ海)
香春神社 (かわらじんじゃ) ②
A: 香春神社(かわらじんじゃ)はいつ頃できたの?
C: 709年(和銅2)に今の場所に移設されたそうよ。それまでは香春岳
(一の岳・二の岳・三の岳という三つの山)の山頂に別々の神様が まつられて
いたらしいわ。
A: まあ、どんな?
C: 読み上げるわね。
一の岳は 辛国 息長大姫 大*自 命。(または大*目 命 )
(からくに おきながおおひめ おお *? のみこと / おお*めの みこと)
神代に カラ( 辛 / 唐)の経営のために朝鮮半島へ行き、第10代天皇(崇神天皇)
のときに帰国。
二の岳 は 忍骨命(おしほねのみこと)。アマテラスオオミカミの第一皇子。
三の岳は 豊比賣命(とよひめのみこと)。神武天皇の外祖母。住吉大明神の母。
(参考:産土神名帳 / うぶすなじんみょうちょう 香春神社)
A: ええっと・・・第10代天皇は、いつ頃の人?
C: ネット情報では、紀元前100年頃に生まれたという説と、3世紀から4世紀
の人物とする説があるわ。
A: 仮に第10代天皇が紀元前の人だとすれば、紀元前に朝鮮半島へ行った女性
がいるかもしれない、ということ?
C: そこが謎ね。
秦 氏(はた うじ / はた し)
D: 少し気になったことがある。「正倉院文書」に豊前(ぶぜん) の大宝二年
(702)の戸籍が残っていて、*田川(たがわ)に秦(はた)氏が多いという
記事をネットで見た。香春の周辺には新羅(しんら)系の渡来人のほかに、
百済(くだら)系の秦(はた)氏も居たようだね。
(*豊前:福岡県東部と大分県北西部)(*田川:旧 豊前。福岡県ほぼ中央部)
A: 秦氏が日本へ来たのはいつ?
D: 第15代天皇(応神天皇)の頃。西暦(ユリウス暦)283年に弓月君
(ゆづきのきみ)が120県の人々を連れて日本へ移住したとウィキペディア
「秦氏」にある。百済の「県」の広さがよくわからないが、120県だから、
相当数の人数が日本へ来たようだな。
田油津姫(たぶらつひめ)・夏羽(なつは)
A: 田油津姫(たぶらつひめ)と夏羽(なつは)は、いつ頃に亡くなったの?
C: ネット情報では、西暦201年頃 や西暦367年頃など・・・よくわからない。
この抗争のとき、気長足姫(おきながたらしひめ)は15代天皇を妊娠中のはず
だわ。
気長足姫(おきながたらしひめ)
A: 気足長姫(おきながたらしひめ)は3世紀の人とも4世紀の人とも言われるで
しょう?何年が本当だと思う?
C: 福岡県の久留米市にある高良大社(こうらたいしゃ)のウエッブサイトの
年表に、気長足姫(おきながたらしひめ)は西暦200年代に朝妻(あさづま)に
滞在したと書かれているの。高良大社は、田油津姫(たぶらつひめ)が暮らした
旧山門郡(やまと ぐん)を含む筑後地方(福岡県南部)の 一の宮 なので、無視
はできないんじゃないかな。参考データーとして。
A: 気長足姫(おきながたらしひめ)が3世紀の女性だとすれば、子 の 第15代
天皇が 3世紀後半 に渡来人を招き入れても、矛盾は・・・しないわね。
大昔のことだから、誰にもわからないけれど。
休 憩
司会: 休憩時間です。10分間休憩しましょう。
お疲れさまでした。
まとめ
中編に続きます。
ご訪問をありがとうございました。(香春の伝説を追う試み 中編へ)
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追伸:誤認やミス、引用先の不記載などがあると思います。お気づきの場合は
ご容赦の上、お差し支えなければサイト管理者へご教示いただけますと幸いです。
平素のご教示とご協力に感謝申し上げつつ。
工房くらし月
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