本文へスキップ
         

お問合せ

事務局・工房くらし月


ねじれた和歌の謎  


秘書のファイリングかばん 
 

**★☆***:*★☆***:*★☆**

ねじれた和歌の謎


******************************


万葉集の和歌へ話を戻します。

万葉集1巻54番歌と出会ったエピソードを1話に書きました。

もう一度、下に和歌2首を書きます。



万葉集1巻 54番歌

巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎 

こせやまの つらつらつばき つらつらに みつつしのばな こせのはるのを


万葉集1巻 56番歌

河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者 

かわかみの つらつらつばき つらつらに みれどもあかず こせのはるのは


この2首にまつわるファンタジー(空想物語)を書きます。

数年前に福岡市東区の公園(東公園)に椿の木立ちがあるのを見つけました。

季節ごとの変化を観察するうちに、あることに気付きました。

(おや、実ができている。・・・あ、かなり成長している・・・)と。


そして秋のある日、枝に奇妙な物体を発見。それは熟して三裂した果実。

種子が落ちたあとの果実は、黒くひらべったい餅(もち)のようでした。


(へええ・・・椿の実ってこうなるんだ・・・黒いパンケーキみたい。)

そのときに万葉集54番歌が心に浮かびました。


(あの和歌の「*つらつらに見つつ」の「つらつら」は、「念入りに」という

意味だったよね・・・念入りに見ると、実がたくさん見えるんですけど・・・)

ふと楽しくなり、54番歌の背景について調べてみました。


万葉集1巻54番歌を調べる課程で、56番歌の「ねじれ」が気になりはじめました。

(・・・なぜ、似た歌があるの?・・・あれ?56番歌って、どこかが変。

う~ん、何かがねじれた感じ。なぜ、そう感じるのかな?う~ん・・・)

そんな感想を持ったので、*古典籍資料を調べました。


古典籍資料

国会図書館デジタルコレクションの古典籍資料:清水 浜臣 写 万葉集(1)

を参照。すると写本をした人物による詳しい朱筆の書き込みがありました。

(おぉ!これは・・・)

次のような内容でした。


54番歌

『*この木 油を取りて唐国へ贈られし事 見ゆれば多く植えおかれていたのだろう』

現代語に改めて補足すると「ツバキは(椿油を)採油して唐(中国)の高官など

への贈り物にしたと伝える資料があるので、多く植えられていたのだろう」


56番歌

『これ(56番歌)は 春(に)見てよめる歌にて この御幸(みゆき)の時とはきこ

えずと*千蔭は云われき』

現代語にすると「『これ(56番歌)は春に詠んだ歌で、この御幸(みゆき:天皇の

旧暦9月の旅)の歌のようには聞こえない』と千蔭(ちかげ)がコメントをしている」


註:*千蔭:加藤千蔭 / かとう ちかげ:江戸時代の歌人・国学者 (1735-1808。)

写本:清水浜臣(しみず はまおみ)江戸時代の医師、歌人、国学者(1776-1824。)


ねじれた和歌の謎


江戸時代の加藤千蔭(かとうちかげ)という歌人が56番歌に違和感をもっていた

ことを、清水浜臣(しみず はまおみ)という医師で歌人で国学者という肩書の

人物が書き残しているのです。

それを見て当サイトも(よーし、同志を発見!)と気持ちを強くし「ねじれた和歌

の謎解き」に取り組んでみました。


題詞(だいし)


54番歌と56番歌の2首には、同じ説明(題詞 / だいし)が添えられています。

[題 詞] 大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌


意 味:

大宝元年(701年 辛丑 / かのと うし 旧暦9月)太上天皇(だいじょうてん

のう:譲位した天皇)が紀伊国(和歌山県)へ旅行なさったときの歌。


補 足


補足します。

41代 持統天皇(645年―703年 女性)は、697年に孫の文武天皇/もんむ

てんのう(683-707、在位697-707)に天皇の位を譲りました。藤原京を出て

巨勢路(こせじ)を通り紀伊国(和歌山)へ行く途中で従者が詠んだ歌だそう

です。巨勢山(こせやま:奈良)はヤブツバキの名所。花が見られるのは春

(2月~4月頃)。


「み 実」の音をさがす試み

秋にはヤブツバキの三裂した実が多数見えたはずなので、作品中に「み」の音

を探してみました。


54番 こせやまの つらつらつばき つらつらに
つつしのはな こせのはるの
                     (
つつおもはな
       
56番 かわかみの つらつらつばき つらつらに
れどもあかず こせのはるの



2首とも「み」の音があります。「み = 実」と当て字。

54番歌の「つらつらに見つつ=念入りによく見ると」を踏まえて訳します。
 

54番歌 試訳

巨勢山に列をなしているつややかなツバキの葉。(じっと目を凝らすと葉陰に

三つに割れた実が重く垂れているのが見えている。これは椿油が採れる貴重な実だ。)

花が咲いた 許湍(こせ)の春野に思いを馳せよう。美しいことだろうなぁ。


56番歌 試訳

その後に詠まれたと思われる56番歌。

河上(かわかみ)に列をなすつややかなツバキの葉。花咲く巨勢の春野は見飽(あ)

きないことでしょうね。(しかし、ツバキの 実は開いていませんよ= 貴重な贈り物

となる椿油は実がなくては採油できません。収穫の秋こそ素晴らしいのでは?)


訳の根拠


54番歌に「実(み) 三(み)つ 筒(つつ) 花(はな)」を当て字。

「思(しのはな)」を「おもはな」と読み「重(おも)」を当て字。


56番歌に「実(み) 開(あ)かず」を当て字。「春野は」の助詞「は」の用法

が従来の訳ではねじれますが、上の意味を加えることで整い、自然になるように

思います。


空 想

さらなるファンタジーに挑戦してみました。

54番歌は「つら=面(つら)、思はな=面(おも)鼻(はな)」などの当て字も

可能。突飛な発想ですが、もし仮に、56番歌の作者が 54番歌の「つら」の音に

「面(つら)」の当て字ができると意識して「上=かみ=髪」の音を用いたのな

らば、湯治(とうじ)の旅にピッタリのユーモラスな解釈もできそうです。

試訳します。


「 椿の実を筒(つつ)が重くなるほど集めましょう。(椿の油を採って)面(つら)

にも鼻(はな)にも塗りましょう。髪(かみ)にも塗ればツヤツヤになりますよ」


「続日本紀(しょくにほんぎ)」2巻の文武天皇 (大宝元年9月・10月)の部分に

武漏温泉(むろのゆ:和歌山の温泉)へ行ったとあります。和歌山へは湯治(とうじ

:温泉に入って体を癒すこと)の旅だったようです。


なお、当サイトは歴史ファンタジーサイトです。アカデミックな用途には向きません。

ご了承の上、お楽しみください。


備 考 1 : 歌の作者

54番歌: 坂門人足(さかと の ひとたり)生没年不詳:飛鳥時代の歌人。

56番歌: 春日蔵首老(かすがのくら の おびと おゆ)生没年不詳:飛鳥時代、

奈良時代にかけての僧、貴族、歌人。


椿(つばき)

椿(つばき)は冬季に花をつけるので、海外では冬の薔薇(ばら)とも。



          つづく   つらつら椿の謎へ


**********************************


追 記

701年頃に巨勢山(奈良)の椿から採油されていたのか、それについては明記し

た本を見つけることができませんでした。

万葉集第一巻54番歌と56番歌についてのファンタジーを書きました。


ご訪問をありがとうございました。



誤認やミス、引用先の不記載などがあると思います。お気づきの場合は

ご容赦の上、お差し支えなければサイト管理者へご教示いただけますと幸いです。

平素のご教示とご協力に感謝申し上げつつ。


工房くらし月


トップ頁

copyright notice: all rights reserved by Toki Museum

Copyright:  時間の博物館         since 2001








バナースペース

shop info店舗情報



時間の




博物館




PRIVACY POLICY


FACEBOOK


TWITTER


BLOG


ENGLISH



事務局:工房くらし月
    福岡県福岡市