常夏(とこなつ)草 → 壬午夏日(じんごなつび)
其の一
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本日は、「常夏草」に少し補足をして、「壬午夏日(じんごなつび)」
の項目へ移ります。目的は、ファイル整理です。
今回のテーマは、地元の箱崎で入手した一幅の古い掛け軸。
コーヒー一杯とほぼ同じ値段で売られていたものです。
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「常夏草」(補足)
俳諧「常夏草」と似たタイトルの「常夏草紙」という物語があります。
江戸時代(1603-1868)後期の戯作者、滝沢(または 曲亭) 馬琴の作品です。
国立国会図書館デジタルコレクションで 「常夏草紙」を検索すると、
「常夏草紙 」(とこなつぞうし 絵入草紙発行会 発行1918年)
「常夏草子」(栄文舎 発行1886年)、「絵本常夏草紙」(1886年)
などがヒットします。
これらの本(同内容)の冒頭に、 常夏の花「なでしこ」について、
染殿の后(そめどののきさき)がなでしこの御(ご)と呼ばれたので、
后の 諱(いみな)を避けナデシコを常夏の花と呼ぶと説明があります。
諱は生前の名前、または実名・本名のことです。
神々や古代の人々の名前が美称・土地・役職・通称・諡号(しごう
死後に贈られた名前)で伝承され、今となっては実名・本名が不明な
ケースもあるそうです。一般人でも、近代までは幼名、通称など本名
以外が用いられるケースは普通で、1872年(明治5年)の太政官布告で
諱(本名)と通称の併称が公式に廃止されています。
染殿の后(そめどののきさき)とは:
染殿の后とは 藤原明子(ふじわらのめいし ふじわらのあきらけいこ)。
西暦829-900年(平安時代)の人物です。文徳(もんとく)天皇
(827-858年)の女御で清和(せいわ)天皇の母。明子の母は
嵯峨(さが)天皇の皇女(娘)。
今回のテーマである掛け軸ファイリングには、「嵯峨源氏」が登場しま
す。嵯峨源氏は、嵯峨天皇の皇子・皇女の血筋を持つ武士団です。
日本史で学習する嵯峨源氏、清和源氏、桓武平氏は、系譜をさかの
ぼれば同祖で、どこかで一人の男性につながるはずです。その男性の
系譜がどこへ続くのかは遺伝子解析の領域で、魂や霊の系譜となれば
幽玄界の謎となって、どちらにしてもサイト管理者には分かりません。
フリーランス秘書講師としては、ビジネス実務に役立つ範囲で、ファ
イリングをしようと思います。
テーマとなる掛け軸は、本物であれば南北朝時代以前の巻物です。
南北朝時代は西暦1336年から1392年。南朝と北朝に分かれて、数代の
天皇が同時に在位した時代です。
テーマである掛軸を遺した人物は1337年に福井県(越前)で戦死。
その前年の1336年には、当サイトの地元「箱崎」でも合戦があり、多く
の戦死者が出ました。
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「常夏草」から「壬午(じんご)夏日」へ
本日のテーマの掛軸へ話を進めます。
当サイトの地元 「 箱崎 」 には、網屋(あみや)天満宮という神社が
あります。箱崎は1336年に合戦の地となりました。毎年7月に「人形飾り」
として戦死者の慰霊が行われています。網屋天満宮は「人形飾り」の中心
です。その一角に「太平記(たいへいき)」という中世の軍記物語に登場
する武将が祀られています。祀られているのは福岡の有名人ではなく、
石見国三隅(島根県)に城を構えた地頭だった人物。
天満宮の立札は、この武将と箱崎の関係について触れていません。祠に
は白狐の置物があり、立札には「本社は伏見稲荷」と説明があります。
本日、ファイリング整理をする掛軸には、白狐の絵はありませんが、
影絵のキツネを連想させる指の形が描かれています。掛軸の印章は
「太平記」に登場する「瓜生判官」。この人物も天満宮に祀られている
武将も、福岡県の出身者ではありません。
気になるのは、福岡県、島根県、また掛軸の印章にある「瓜生判官」
の出身地・福井県には共通点があることです。上代に大陸から海を
越えて渤海(ぼっかい)の文人たちがやって来たことです。
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