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壬午夏日(じんごなつび)  其の二



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「太平記」の世界へ

前回の続きです。


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掛け軸

コーヒー一杯の値段で売られていた掛軸の話。


印章は瓜生判官源保(うりゅうはんがんみなもとたもつ)。

同名の人物が、中世の古典文学作品「太平記」に登場します。

掛軸の真贋:不明 

(2021年11月9日 後世の贋作とご教示をいただきました)
*中世史・美術史に詳しい学芸員の方に確認していただきました。 

分類・特徴

分類は巻物(掛軸)です。内容は写経と絵姿。表具に経年劣化。

写経に使用されているのは和紙。紙の色は茶色系(赤卵の殻より濃い)。

肌理(きめ)は細かく平滑。

絵は垂迹画(すいじゃくが)。


(「絵姿」↓↓で写真と動画をご覧いただけます)



掛け軸の署名と印章(いんしょう)

下:図 ① ② 

 
①判官源不倒
朱文印(雅号)不倒
 
②瓜生判官源保
白文印(本名)瓜生保

①「不倒」(ふとう)は雅号。

瓜生保は実名。判官は役職名。源は出自。


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人物・氏族情報:瓜生保(うりゅうたもつ)

「太平記」に登場する「瓜生判官」の人物・氏族情報。


瓜生保(生年不詳ー1337年):役職は検非違使判官(けびいしはんがん)。

天皇の使者として不法・違法を検察する仕事。 出自は
*源氏(嵯峨源氏)。

越前(福井県)の杣山(そまやま)城主。この城は中世の荘園に立地した

山城で、現在は国指定史跡。


(備考 1)

*源氏は皇族が「籍」を去ることにより「源」姓を賜り生まれた氏族。

弘化5年(814)に嵯峨天皇の皇子女8人が皇族の籍を去り、姓を得たのが

「源氏」の始まり。有名な嵯峨源氏には鬼切伝説で有名な渡辺綱(平安

時代の人物)がいる。

 
参考: 
「*太平記」兵頭裕己 校注 発行:岩波書店

     南越前町ホームページ  ウィキペディア 


(備考 2) 

*「太平記」とは

分 類  : 古典文学作品  歴史文学 (ジャンル 軍記物語)

成立年代 : 不詳 (14世紀・室町時代中頃?)

作 者  : 不詳 (複数の人物が関係?)

特 徴  : 全40巻 約50年間(1318ー1368年)を描く物語。

                 (ウィキペディア 参考)

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「太平記」と掛軸の関係について


「太平記」の物語中に、瓜生判官の器用さを伝えるエピソードがあります。

彼は味方の一行と関所を通過するとき、通行札の内容を書き換えました。

この細工は気付かれず、結果として無事に関所を通過します。


上のエピソードで瓜生判官は味方と共にいます。しかし、最初は誰が味方か

分からない状態でした。彼は偶然に耳にした「紋・しるし」についての人々

の雑談から、味方を選別します。雑談は、最終的に「一」の紋が勝つという

結論になり、瓜生判官はその言葉を味方の手掛かりとします。


エピソードの詳細:18「義治旗を揚ぐる事 幷 杣山軍の事」

参考:「太平記 三巻」 兵頭裕己 校注 発行:岩波書店



「太平記」を読んで(感想)

今年の8月に福岡でも緊急事態措置が適用されました。自宅で特にすること

もなく、「太平記」の瓜生判官についての章を読み返しました。以前は気に

ならなかった描写が、今回は気になりました。例えば、瓜生判官が関所の

通行札の半分を削り、半分を用途に合わせて書き換えた話から、神仏習合

の垂迹画(すいじゃくが)を連想したり、「紋・しるし」で味方を判別した

話から、掛軸の絵に神体の素性を示す「紋・しるし」はないかと考えたり。


二度、三度と繰り返して読むほどに謎解きの気分が高まり、コーヒー一杯

の値段で買った掛軸のファイリングを試みることにしました。


掛け軸の絵姿

本物であった場合・・・を仮定して話を進めます。

下は掛軸の絵です。


画像はクリックで拡大します。


髪型 宝冠


画像① 額に白毫(びゃくごう:ホクロのような形)があります。

白毫(びゃくごう)が描かれるのは仏画で、如来(にょらい)と

菩薩(ぼさつ)。


顔の輪郭と構成:「*絹本著色玄奘三蔵像」(鎌倉時代の作品)

と似ています。(「*文化遺産オンライン」参考)


画像② アクセサリー(頭部の飾り):二本の棒と〇。下の棒に

ギザギザ。


画像③ 手: 両手を下げ、右手は3本の指を立て、残りの二本で

Cの形を作っています。両腕は手首で交差。


画像④ アクセサリー(胸の飾り):〇とTをベースとした装飾。

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この掛軸の動画へのリンク

どのような印象をお持ちになりますか?

(お詫び)

 11月3日リンク削除。(理由:動画が開かないため)
 
 動画「不倒謹書」が当ホームページ上で開きません。
 Facebook 「工房くらし月」にリンクを貼りました。

 ご覧いただけなかった皆様、申し訳ございませんでした。

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 絵姿の特徴から検討へ

顔は「絹本著色玄奘三蔵像」(鎌倉時代の作品)に似ています。


手は仏教の印相(いんぞう)に似ています。右手を、こちらから見て時計回

りに下げ、やや前方へ突き出しています。両腕で魚の形を作るように、右手

をやや前方に位置させると、楽に手のポーズ(親指と薬指で作るキツネの

ような形)を絵の状態に保つことができます。身体に近すぎると、右ひじを

下げた状態で、てのひらを絵の状態に保つのは困難です。


左手は人差し指と小指を立てた形にして右手に被せています。


このポーズが何のしるしか、仏教の印相・位置と比較してみました。右手は

仏教の
下品(げぼん)を示す印に似ています。下品(げぼん)は仏教的な品位

がない、という意味です。掛軸に描かれた手や指の形は、仏教以外の聖画

を象徴するものかもしれません。


そのように考え、交差する両手から思いついてキリスト教のイクトゥス

(魚の形)を検討対象に入れてみました。


(備考 1)

下品(げぼん)
:意味 不善を行う人・間違った説法をする人。

(参考:website 天台宗 法話宗 NO89 )


(備考 2)

イクトゥス(IXΘYΣ):IHΣOYΣ XPIΣTOΣ ΘEOY YIOΣ ΣΩTHP の略。

イクトゥスは*弧をなす二本の線を交差させて魚を横から見た形。イエス・

キリストの意味。「魚」は初期のキリスト教徒が隠れシンボルとして使用。

イクトゥスは2世紀頃にローマ帝国に始まり、3~4世紀に拡散。

(参考: ウィキペディア イクトゥス )


現実との矛盾点

イクトゥスという連想は、飛躍しすぎるかもしれません。

万が一、掛け軸が本物であった場合、制作者は1337年に亡くなって

います。日本にキリスト教を伝えた宣教師(フランシスコ・ザビエル)の

来日(1549年)より200年以上前の絵です。


仮定を前提とする違和感の解決

矛盾はひとまず脇に置きます。


キリスト教の影響を仮定し、腕でイクトゥスを作っているとします。

すでにキリスト教の影響があったと仮定すると、右手の指の形は

IC(神聖文字・ギリシャ語 イエス)を表わす可能性もあります。


この右手の指の形に近いのは、太秦(うずまさ)の半跏思惟像(はん

かしゅいぞう/しいぞう)。また、ビザンチン美術(参考:下検索1)

にも、右手の指の形が似たモザイク画があります。


ただし、手の位置が、これらはすべて胸から上で、右手の親指と

薬指は接近しています。掛軸の絵では手が胸より下で、また右手

の親指と薬指はCの形に離れています。


参考
  
検索(1)ビザンチン美術 *アヤソフィアの壁画 (トルコ)

「キリストと皇帝コンスタンティヌス9世 皇后ゾエ」

(1042-1055年頃) 指を三本立てた右手が描かれています。



検索(2)
玉川大学教育博物館「パントクラトールのキリスト」

(ギリシャ イコン 1600年頃) 解説文3行目に神聖文字の説明が

あります。


検索(3) 文字の省略形・神聖名について

ノミナ・サクラ(神聖名)を検索すると「文字の省略形」の情報があり

ます。


アクセサリー

胸の飾りについて

右手が仮にIC(イエス)であれば、宝冠(頭の飾り)と胸の飾りは何か

を考えます。胸の飾りは「錨十字(いかりじゅうじ)」に似ています。

錨十字は初期キリスト教徒のシンボルで、「未来の希望」の象徴。

説明をウィキペディア(English)から引用します。
引用:紫部分


A fragment of inscription discovered in the catacomb of
St. Domitilla contains the anchor, and dates from the end of
the 1st century. During the 2nd and 3rd centuries the anchor
occurs frequently in the epitaphs of the catacombs. The most
common form of anchor found in early Christian images was
that in which one extremity terminates in a ring adjoining the
cross-bar while the other ends in two curved branches or an
arrowhead; There are, however, many deviations from this
form. In general the anchor can symbolize hope, steadfastness,
calm and composure


参考:"Christian Symbolism"
Wikipedia


要約:(当サイト)

聖ドミティラの地下墓地で発見された碑文断片に、錨(いかり・

アンカー)が描かれ、一世紀末頃の日付がある。2~3世紀頃の

カタコンベの墓碑銘には錨が頻繁に描かれた。初期キリスト教の

描画に見られる最も一般的な錨の形式は、一方の端が、交差した

棒(クロス バー)に接する一つの円で、もう一方の端は2つに分

かれて反るか、または一本のまま矢尻の形で終わる。 形にはバリ

エーションが多い。一般に錨は「希望・堅実・平穏」を象徴する。

注:*
聖ドミティラの地下墓地:ローマ


(要約:以上)


瓜生判官の生誕地・越前(福井県)には敦賀湾(つるがわん)が

あります。天然の良港で、古代から海外との交易が行われました。

8世紀の始め(奈良時代)から10世紀の始めまでの200年間、渤海

(ぼっかい)の使節団が敦賀湾を訪れました。渤海はロシア沿岸か

ら朝鮮の一部までを制した国で、文人達が来日して日本の文人達と

交流しました。


交易には「筑紫路」「南海路」という九州へ向かうルートと、本州へ

向かう「北路」があり、越前は「北路」の目的地の一つ。越前の敦賀

港へは塩州(現在のロシア連邦クラスキノ)から海を越えて渤海の

人々が訪れたそうです。(参考 ウィキペディア)


結論:胸の飾りについて

胸の飾りが何かは、よく分かりません。個人的には錨を連想しました。


頭部の飾り

次に、宝冠について考えます。


右手がイエス、交差した両腕がイクトゥス(魚)、胸の飾りが錨を表わす

とした場合、宝冠(ほうかん)は何か考えました。


下はメモ。画像はクリックで拡大します。

宝冠1
完成形
宝冠4
原画(色味調整)
宝冠メモ 例1
例 1


仮定に基づく試作について

例1 仮定に基づいて、デザインの中に紋・しるしを探しました。サイト管理者

はクリスチャンではなく聖典に詳しくないため、積み木の要領で考えました。


(例1)は、聖書の「神」を2種類の言語によるテトラグラマトンにして

当てはめたものです。テトラグラマトンは四つの文字を意味します。
      
 
なお、宝冠については掛軸の絵に不鮮明な部分があります。

また、試作はエビデンスを伴っていません。


結論:宝冠について

裏付けとなる形跡・証拠が探せませんでした。


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敦賀(つるが)・気比(けひ)・瓜生保

瓜生保の生誕地についての情報を書きます。


太平記に登場する瓜生判官は、越前和紙で有名な福井県の人物です。

越前和紙は良質なことで知られます。また古い歴史があります。


福井県には敦賀湾と気比の松原があります。
「気比(けひ)」には古墳時

代に神と皇子(応神天皇)が名を交換した未詳の伝説があります。


福井県の地図を見ると、気比の松原から東方向に気比神社があります。

瓜生保は絹掛神社(きぬがけじんじゃ 金ヶ崎町)に気比宮の大宮司や

他の武将と合祀されています。気比宮は、その土地で一番に参拝するべき

格が高い一宮(いちのみや)で、北陸道総鎮守。朝廷の保護も手厚かった

そうです。(参考 ウィキペディア)


気比宮の神は古事記、日本書紀に名前が登場します。文字表記の上で、

記紀で使用されている文字(漢字)に違いがあります。神や貴人は美称や

土地の名で呼ばれることが多いので、真の名を明かしているのかは分かり

ません。


記紀に見る「名の交換」

古墳時代に神と皇子が名を換えた伝説について、皇子(応神天皇)

誕生から気比に至る部分を日本書紀を参考に下に書きます。


① 「九年春二月」 

  仲哀天皇が香椎(福岡県)で亡くなる。


② 「十二月戊戌(つちのえいぬ)朔辛亥(かのとい)」

  筑紫の宇美(福岡県)で応神天皇が生まれる。

  翌年に神功皇后が皇太后となり、摂政元年を迎える。


③ 「(皇太后摂政)十三年春二月丁巳(ひのとみ)朔甲子(きのえね)」

  皇太子が武内宿祢(たけうちのすくね)を従えて
角鹿(つぬが 敦賀)

  の「笥飯(けひ 気比)」の大神を参拝。



④ 「癸酉(みずのととり)」

  角鹿(つぬが 敦賀)」に至る。  (参考:「日本書紀」以上)


上は「日本書紀(神功皇后)」を参考にしました。


次に「古事記」を見ます。「古事記(仲哀天皇、神功皇后)」に上の③

の場面で気比の神が皇子と名の交換をしたエピソードがあります。


注:「日本書紀(応神天皇)」は、名を取り換えた説について「未詳:

わからない」としています。



「古事記」では「日本書紀」④の場面で神から皇子に入鹿(いるか)が

贈られます。「古事記」に「毀鼻入鹿魚既依一浦」とあり、読みは

「*毀鼻(かきはな)の入鹿魚(いるかうお)既(すで)に一浦(ひと

うら)に依(よ)れり*」


皇子は入鹿魚を見て「私はみけのなを給わった(我給御食之魚)」と言い、

神は御食津(みけつ)大神の称号を得て、その後に気比(けひ)大神とし

て祀られたそうです。
 

参考:website 日本書紀(原文) 古事記(原文 )by hp制作

(底本:岩波古典文学大系本/ 卜部兼方・兼右 1990年発行版)

*部分:参考:精選版 日本国語大辞典(712 兼永本訓)

備考

聖書では「ヨナ書」の説話から、イルカは救済と復活の象徴。

聖書を信じる人々はイルカ(クジラを含む)を食べない。なお、古代

はイルカ・クジラを魚と分類。

参考:ウィキペディア。



「太平記」と気比大神について

南北朝時代(14世紀)に気比の神はどのような存在かを、「太平記」に

探してみます。


「比叡山開闢(かいびゃく)の事 幷(ならびに)山門領安堵の事」には、

玄恵法印(げんえほういん)という「天台の学僧」が登場します。

玄恵法印は、初期足利政権の政治顧問だった人物だそうです*。この

人物が「気比は聖観音」と発言しています。 発言は「山王21社を上中下

の各7社に分けたとき」という文脈に見られます。

(*部分:「太平記」兵頭裕己 校注 発行:岩波書店 参考)



なお、「山王21社」とは、山を崇拝する信仰と祖霊崇拝、仏教などが融

合した神仏習合の礼拝対象のこと。「山王21社 気比」と検索すると、

ウィキペディアに「(旧称)気比・(本地)聖観音菩薩または大日如来

または阿弥陀如来・(所在地)宇佐宮境内」とあります。


意味は、旧称「気比の神」は仏教的に「衆生を救う存在」であり、宇佐宮

の境内が所在地。


気比大神は山王21社(上中下全部で21社)の中で一番下の下七社の七

です。上七社の一は仏教の開祖である釈迦(ゴータマシッダータ)を

祀っています。気比大神はゴータマシッダータと近い立場ではないけ

れど、山王21社に数えられる重要な土地神であったようです。


(ウィキペディア 「山王権現 山王21社の本地仏」 参考)



(備考)


宇佐神宮は八幡宮の総本山で、宇佐市(大分県)にあります。「宇佐神宮

由緒」に応神天皇が亡くなった後の571年、宇佐に応神天皇の神霊が現れて

「広幡乃八幡(ヤハタ)大神」として祀られたことが書かれています。


瓜生判官源保の掛け軸

問題点は、描かれた神の素性・出自が不明であること。

ファイリングの意義は、本物の14世紀の垂迹画の可能性があること。


歴史の中の瓜生判官


瓜生判官は、鎌倉時代末、後醍醐天皇の下で足利尊氏に従った人物。建武

の新政後に天皇と足利尊氏の関係が敵対。瓜生判官はどちらに加勢するべ

きか迷います。


*後醍醐天皇(1288-1339)は第96代天皇で、南朝の初代天皇。同時に仏教

の一派である真言宗(真言密教)の庇護者で阿闍梨(あじゃり)。師僧(僧

の先生)の位でした。*  (*部分:ウィキペディア 参考)


瓜生判官は、最終的には後醍醐天皇側に加勢し、皇子たちの救援のため

金ヶ崎城(かねがさきじょう)へ急ぎます。道中で同行者が危険に陥り、

瓜生判官はその援護で亡くなります。


瓜生判官の印章を持つ掛け軸は、何年の写経かを伝えていません。もし、

天皇と将軍がケンカ中であれば、二人が仲直りをして穏やかな世が来ますよ

うにと、写経をしながら願ったことでしょう。



ファイリング:結論

分類:掛け軸 

署名:「不倒」(ふとう)

印章:「瓜生判官源保・不倒」

年代:不明

真贋(しんがん):不明

(2021年11月9日 後世の贋作とご教示をいただきました)
*中世史・美術史に詳しい学芸員の方に確認していただきました。


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当サイトは歴史ファンタジーサイトです。今回はコロナ禍で図書館など

が閉鎖中のため、ネット上の情報主体でファイリングしています。


思い違い、ミスなどにお気づきの際は、お許しの上、ご教導いただけます

と幸いです。



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