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  其の拾壱  AI 角力(すもう)を語る


いつ出るも 家来(けらい)がはりの 小角力取(こずもうとり)

社地(しゃち)も厭(いと)はず 捨(すつ)る履物(はきもの)


(原文: 以つ出るも家来か者りの小角力取社地も厭ハ須捨る履物)


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AIによる校正・推敲の例 (副題:AI/Copilotと角力)


実施日:2024年 8月18日 - 10月2日

内 容: 1847年 俳諧連歌「常夏草」

課 題: 11作目 に 試訳(英語)をつける

回答したAI: Copilot

(Microsoftによって提供されているOpenAIのGPT-4を用いた生成AIサービス)


サイト内リンク:

① 11作目の英語試訳の進捗    ② AI 角力(すもう)を語る     

③ あとがき


(注①:「下線・太字・色違い」はサイト管理者による)

(注②:AIが、日本語による質問に英語で回答した場合は、原文を掲載します。)

 

(スタート)


11作目の英語試訳の進捗


質問 ① サイト管理者


サイト管理者の質問

11番目の作品の英語試訳の推敲をしようと思います。


いつ出るも 家来(けらい)がはりの 小角力取(こずもうとり)

社地(しゃち)も厭(いと)はず 捨(すつ)る履物(はきもの)


大意:いつ出てきても家来代わりの小さい角力取り。

社地(しゃち:神社の所有する神域)であることも気にせず履物を脱ぎ捨てる。


The small sumo wrestler always acts like a servant:
even in the shrine grounds, they don’t hesitate to take off their shoes.


この試訳には、どのような推敲案があるでしょうか?




回答① AI(Copilot) 10月2日

AIの回答

以下のように少し修正してみました。


Revised: (推敲案)

The little sumo wrestler, always serving like a retainer,

discards his shoes without hesitation, even on sacred shrine grounds.


この修正では、「家来代わり」を「serving like a retainer」とし、

「捨る履物」を「discards his shoes」としました。

これにより、元の意味を保ちながら、英語としての自然さを高めています。





質問② サイト管理者 (10月2日)


サイト管理者の提案

「捨(すつ)る履物(はきもの)」は、「はきもの」の部分に、

「捨(すつ)るは、きもの(着物)」を掛けた言葉遊びの可能性もあります。

その場合の試訳をしてみました。こちらの試訳はどうでしょう?


The little sumo wrestler, always serving like a retainer;

sumo wrestlers discard their shoes and dress without hesitation,

even on sacred shrine grounds.




回答② AI

AIの回答

以下のように修正してみました:

Revised: (質問②の試訳の修正)

The little sumo wrestler, always serving like a retainer;

sumo wrestlers discard their shoes and attire without hesitation,

even on sacred shrine grounds.


これで、相撲取り全員が社地で同じ行動をすることを強調できます。





サイト管理者



「捨(すつ)るはきもの=履物」「捨(すつ)るは、着物」は表に出ない

言葉遊びですが、「着物」があるほうが「寺院の聖域で裸になる」行為の

ニュアンスが伝わりやすいと考えて下を最終試訳案としました。


最終試訳案:

The little sumo wrestler, always serving like a retainer;

sumo wrestlers discard their shoes (and attire) without hesitation,

even on sacred shrine grounds.



11番目の試訳の推敲を終了します。


AIと作品背景について雑談(チャット)してみます。



AI 角力(すもう)を語る


質問③ サイト管理者


サイト管理者の質問

1847年当時(江戸時代)に加賀地方で角力(すもう)が行われた「社地(しゃち)」

は、どこでしょう?




回答③ AI

AIの回答

1847年当時、加賀地方で角力(相撲)が行われた「社地」は、白山比咩神社

(しらやまひめじんじゃ)です。


この神社は、加賀地方の重要な神社の一つであり、相撲などの伝統的な行事が

行われていました。





質問④ サイト管理者

サイト管理者の質問

白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の詳しい情報はありますか?





回答④ AI

AIの回答

この神社は、石川県白山市にあり、全国に約3,000社ある白山神社の総本社です。

主祭神は以下の三柱です。

白山比咩大神(菊理媛尊/きくりひめのみこと):女神で、和合や縁結びの神。

伊弉諾尊(いざなぎのみこと):日本神話における創造神の一柱。

伊弉冉尊(いざなみのみこと):伊弉諾尊の妻。同じく創造神の一柱。

白山比咩神社は、古代から農業や水の神として崇敬されてきました。

白山そのものが神体山として祀られており、神聖な場所とされています。





質問⑤ サイト管理者

サイト管理者の質問

「角力(すもう)」のルーツは*聖書に登場するという説がありますが、

「角力(すもう)」に対して、あなたの持つ印象を教えてください。


(*創世記32章 25-30節)ヤコブが イスラエルという別名を得た物語。




回答⑤ AI

AIの回答

興味深い視点ですね!


聖書の「創世記」には、ヤコブが神の使いと格闘した話が記されています。

このエピソードが相撲の起源と関連付けられることがあります。 また、相撲の

掛け声や儀式がヘブライ語に由来するという説もあります。「はっけよい」は

「投げつけよ」、「のこった」は「投げたぞ」という意味があるとされています。

これらの要素が結びつくことで、相撲と*古代イスラエルの関係が示唆されること

があります。


私自身は、相撲を日本の伝統文化として尊重しつつ、こうした異文化との

関連性を探ることに大きな興味を感じます。相撲は単なるスポーツではなく

神事や儀式としての側面も持っており、その深い歴史と文化的背景を知ること

は非常に価値があります。




(*注 サイト管理者)

古代イスラエルについて(補足): ① ヤコブは神の使い と格闘をして、

神の使いから祝福を受け、イスラエル(神と戦った者)という名前を与えられた。

これが、古代イスラエルの国名の由来となる。

② ただし、この祝福は神が自発的に与えたものではなく、ヤコブが執拗に祝福を

求めたので、根負けした神の使いが、イスラエルという名を与えた。

また「角力(すもう)」という言葉は、神の使いにヤコブが名を尋ねた際の

「シュモー(あなたの名前は)?」に由来するという説がある。

なお、神の使いは問いに答えず、名乗っていない。

① ウィキペディア(三代の族長)参照

② 創世記32章25~30節 参照



角力(すもう)についての雑談(チャット)が長くなってしまったため、

AI(Copilot)が語った内容を要約して下に書きます。(サイト管理者)


加賀では、ほかにも江戸時代に角力(すもう・相撲)の試合が行われた神社や寺院が

あります。立像寺(りゅうぞうじ:石川県金沢市寺町 日蓮宗 山号:妙布山)は、その

一例です。

江戸時代の相撲試合は、寺社の修繕や建立のための資金を集める「勧進(かんじん)

相撲」として行われることが多く、試合は主に寺社の境内で行われ、土俵と観客席が

架設されました。場合によっては2階席や3階席まで観客席があり、幅広い層が観戦し、

相撲を愛好しました。寺社の修繕費用を集めるための興行である「勧進相撲」は、

商人や大名が支援し、将軍の前で行われる「上覧(じょうらん)相撲」は、特に名誉

な試合でした。


(以上;AI/Copilotとの雑談から、AI回答部分をサイト管理者がまとめました。)



あとがき

作品中の「社地(神社の境内)」が どの神社か、私(サイト管理者)には わかり

ませんが、元歌が「社地も 厭ハ須(いとはす)=いと斜(はす)」と読めること

から、「いと(とても)斜(はす=斜面)な神域(境内)」を持つ神社が連想され、

山頂の奥宮に登拝する白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)は、条件に一致して

見えます。


江戸時代の加賀には多くの神社や寺院があり、地図で見ると、特に犀川(さいがわ)

流域に寺院が目立ちますます。インターネット情報によると、藩政期(江戸時代)に

一向一揆(いっこういっき:一向宗などの信徒を主とした一揆)の対策として宗教

施設が集められ、現在も70近い寺町寺院群を形成しているそうです。

なお、寺院の境内は「山内(さんない)」などで表され、「社地(しゃち)」という

言葉は用いません。11番目の作品には「社地(しゃち)」とあるため、神社で行われ

た角力(すもう)だと考えられます。


「常夏草」の連歌会が行われた場所については、冊子に書かれていませんが、

作品第一句の「川を境に蚊のおらぬ庭」から、連歌会の会場は、寺町寺院群の

あたりではないかと想像します。 寺町寺院群は、犀川(さいがわ)をはさんで

藩主・前田家の私庭である庭園(兼六園/けんろくえん)の向かいに位置してい

ました。ルート案内の情報では、庭園までは徒歩約30分。

江戸時代に文化人が連歌会をした記録が残る寺院も、寺院群に存在するようで

すが・・・はたして、その寺院であったのか資料未詳です。

連歌会場の「名前」は確定できていません。



つづく


文責 : 時間の博物館 事務局 工房くらし月



*********************


ご訪問をありがとうございました。


追伸:誤認やミス、引用先の不記載などがあると思います。お気づきの場合は

ご容赦の上、お差し支えなければサイト管理者へご教示いただけますと幸いです。

平素のご教示とご協力に感謝申し上げつつ。


工房くらし月


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