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  其の拾  AI 山葵(わさび)を語る


  土手筋(どてすじ)は 少(すこし)の花も めだつ也 (なり)

  遣(つか)ひあまりの 山葵(わさび)いけ置(おく)


(原文: 土手筋盤少の花も めたつ也 遣ひ安万り乃山葵いけ置)


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AIによる校正・推敲の例 (副題:AI/Copilotと山葵)


実施日:2024年 8月18日 - 9月30日

内 容: 1847年 俳諧連歌「常夏草」

課 題: 10作目 に 試訳(英語)をつける

回答したAI: Copilot

(Microsoftによって提供されているOpenAIのGPT-4を用いた生成AIサービス)


サイト内リンク:

① 10作目の英語試訳の進捗    ② AI 山葵(わさび)を語る     

③ あとがき


(注①:「下線・太字・色違い」はサイト管理者による)

(注②:AIが、日本語による質問に英語で回答した場合は、原文を掲載します。)

 

(スタート)


10作目の英語試訳の進捗


質問 ① サイト管理者


サイト管理者の質問

10番目の作品の英語試訳の推敲をしようと思います。


土手筋(どてすじ)は 少(すこし)の花も めだつ也 (なり)

遣(つか)ひあまりの 山葵(わさび)いけ置(おく)


大意:土手筋は 少しだけ咲いている花が目につく。

差し上げた残りの山葵(わさび)を水盤(すいばん)に活けた。


Along the embankment are a few eye-catching flowers,
in a vase is the remained wasabi shared with others.


この試訳の 推敲案はありますか?



回答① AI(Copilot) 9月28日

AIの回答

以下のように少し修正してみました。


Original:(あなたの試訳)

Along the embankment are a few eye-catching flowers,

in a vase is the remained wasabi shared with others.


Revised: (推敲案)

Along the embankment, a few flowers catch the eye.

In a vase, the leftover wasabi from a gift is arranged.


この修正案では、文を少し簡潔にし、自然な英語の流れを意識しました。

いかがでしょうか?





質問② サイト管理者

サイト管理者の質問

from a giftの部分を「遣い物=こちらから進物としてよそにおすそ分けした」

と解釈する場合に、from a giftはどのように推敲できるでしょうか




回答② AI

AIの回答

遣い物」を「こちらから進物としてよそにおすそ分けした」と解釈する場合

from a gift」を次のように推敲することができます:


Revised:修正案


Along the embankment, a few flowers catch the eye.

In a vase, the leftover wasabi from what was shared as a gift

is arranged.


このようにすることで、「遣い物」の意味をより明確に伝えることができます。





サイト管理者

良い推敲案だと思います。

第10番目の作品の推敲を終了します。


作品背景について、AIに質問してみます。




AI 山葵(わさび)を語る

質問③ サイト管理者 (9月30日)


サイト管理者の質問

加賀藩の溶姫(ようひめ/やすひめ)について教えてください。





回答③ AI

AIの回答

溶姫(ようひめ、1813年4月27日 - 1868年6月20日)は、11代将軍 / 徳川家斉

(とくがわ いえなり)の21番目の娘で、12代加賀藩主/前田斉泰(まえだ なりやす)

正室です。

彼女は13代加賀藩主・前田慶寧(まえだ よしやす)や11代鳥取藩主/ 池田慶栄

(いけだ よしたか)のでもあります。

溶姫は文化10年(1813年)に江戸城大奥で生まれ、文政10年(1827年)に

前田斉泰と結婚しました。結婚後、彼女は加賀藩に溶け込もうと努力しましたが、

大奥から連れてきた女中たちが加賀藩の女中や藩士を見下すことが多く問題

生じました。

幕末の動乱期には、溶姫は加賀藩の財政を圧迫する存在と見なされ、藩士たちから

反感を買うこともありました。最終的に、彼女は慶応4年(1868年)に金沢城で亡

くなりました。 さらに詳しい情報はウィキペディアの溶姫のページをご覧ください。





質問③ サイト管理者

サイト管理者の質問

1847年当時の加賀藩の正室/溶姫(ようひめ)は徳川家出身ですね。

山葵(わさび)と徳川家葵(あおい)の紋(もん)は、どちらも漢字の

「葵」ですが、関係を教えてください。


また、徳川家山葵珍重した将軍がいたら、教えてください。





回答③ AI

AIの回答

徳川家で山葵(わさび)を珍重した将軍徳川家康です。

家康は、静岡市有東木(うとうぎ)で栽培された山葵を初めて口にした際、

その味の良さに感動し、特に山葵の葉の形徳川家の家紋である葵紋に似ている

ことから大変気に入りました。


家康は山葵の栽培方法門外不出とし、特別なものとして扱いました。このため、

山葵は徳川家の象徴とも言える存在となりました。


他に何か知りたいことがありますか?






質問④ サイト管理者

サイト管理者の質問

1847年当時加賀藩では山葵高価な商品で、入手が困難でしたか?




回答④ AI

AIの回答

1847年当時、加賀藩では山葵(わさび)は確かに高価な商品であり、

入手が困難
でした。


山葵(わさび)
は特定の条件下でしか栽培できず、主に静岡県の一部地域で生産

されていました。そのため、加賀藩のような遠方の地域では、山葵の供給が限られ

ており、希少価値が高かったのです。 加賀藩は経済的に豊かであったため、

山葵のような高価な商品を購入することは可能でしたが、それでも入手は容易で

はなかったでしょう。





質問⑤ サイト管理者

サイト管理者の質問

「土手筋は少しの花も目立つかな 遣いあまりの山葵いけ置く」という作品は、

江戸時代の終わり頃の、商品作物「山葵(わさび)」の希少性が目に見えるよう

に感じられます。


あなたはの感想を教えてください。




回答⑤ AI


AIの回答

この俳諧連歌は、日常の風景商品作物である山葵を巧みに結びつけており、

興味深いですね。

山葵が高価で珍重されていたことを考えると、この連歌はその価値を再認識させると

同時に、日常の中での小さな贅沢を楽しむ心を感じさせます。






あとがき


加賀藩の溶姫(ようひめ)は徳川家の出身です。

10番目の、なにげない日常を詠んだ作品が、当時の高価な商品作物に触れており、

徳川家の葵(あおい)の紋(もん)と結びつくのも、「常夏草」という作品の

味わいかもしれません。



つづく


文責 : 時間の博物館 事務局 工房くらし月



*********************


ご訪問をありがとうございました。


追伸:誤認やミス、引用先の不記載などがあると思います。お気づきの場合は

ご容赦の上、お差し支えなければサイト管理者へご教示いただけますと幸いです。

平素のご教示とご協力に感謝申し上げつつ。


工房くらし月


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